童貞ニトリ

過日あれは夏の暑い日でした。

 

バイト先のランチ営業のシフトに入ってた日、カウンター席に1人の男性が座りました。男性が1人で来店することはめずらしくないし、最初は気に留めていなかったのですが、カウンター席は厨房から様子が見えやすい作りになっているので、食べてる様子が自然と目に入りました。

 

大変失礼な話なんだけど「なんかどうも生理的に食べ方がやな感じの人だなあんまり対応したくね〜」と思って見ておりました。はっきり言って見た目も冴えない。童貞臭がすごい。私の童貞への偏見は目を見張るものがある。

 

童貞は前菜とパスタとメインのコースと最後にデザートまでしっかり食べてお会計を私が担当したのですが対面した時に男性が発した言葉に驚くこととなる。

 

「未経験なんですが、表のスタッフ募集を見まして、募集されてますか?」

 

は、まじかよ、今ここで私が断ってもいいかな?(当方、ただのパートアルバイトです。人事の権限は持っておりません。)と思わずにはいられませんでしたが、オーナーに引き継いで後日急に1日体験で働く約束になってしまいました。

その男しかも、その日店に食べに来たシチュエーションが奇特で「茨城から京都に来て、いま1週間の短期滞在中で、移住したいと思ってこの期間中に近くに住む家を決めた。だから仕事も探したい」などと発言する30歳だった。

 

 

いろいろ漠然とし過ぎててこわい。学生じゃあるまいし男でその歳で身軽すぎやろ。もう初対面のその日から私の彼への不信感爆発。

 

 

後日の1日体験入店の日は私もシフトインの日で一緒に働いた。まかないの時間にオーナーとその男と私でテーブルを囲んで面談するような形になった。

つい先日、その男のことはお客さんとして対応していたけど、その日は半日一緒に働いて食卓を共に囲んで一緒にごはんを食べることになってしまい、私にとって彼はもう客ではないので感情がダダ漏れてしまった。やっぱり食べ方がどうも気持ち悪い。

 

オーナーが話を切り出すと男は口調こそ控えめだけどよく喋った。ひとまず私はあなたに全く興味はないのによくもまあ楽しそうに喋るなと思った。

男が長々と話した内容をまとめると、生まれてから29年間実家暮らしでずっと茨城に住んでいた。茨城のニトリで10年間勤めた。ニトリではアルバイト雇用だった。今までずっと実家暮らしで茨城からも出たことがなく、20代の最後にこのままではいけない気がした。京都が好きだからこの1週間でいろいろな場所を見て回ってここに移住したいと思ってもう家も決めた。料理に興味があって食べることが好きで、一度も経験はないが飲食業で働きたいと思った。

 

繰り返しになるけど、男の言っていることが漠然としすぎていて聞いている最中から私は苛立っていた。

苛立ちの理由はもうひとつあって、私はこの手の人間をパリにいた時に山ほど見ている。ワーキングホリデー制度(労働の制限なく30歳までなら1年間その国に居住可能なピザ)でパリに来ていた日本人はほとんどこの男と同じだった。

みんな漠然とパリに憧れて住んでみたけど1年間パリに住んだという事実だけ抱えて帰国する。フランスでも特にパリは物価も高いからしっかり小銭稼ぎもしないといけない。小銭稼ぎをしている間に時間はどんどん消費される。旅行じゃない、生活をしようと思うと、安定してお金がないとできることは限られる。

何か変わると信じて海を越えたぐらいでは、それまでにいた場所での自分と比較して何か劇的に変わるわけではない。人は変わらない。パリでバイトしていたラーメン屋にもワーホリの人が何人か働いてたけど、みんなすぐ辞めた。バイトリーダーのばばあが理不尽だったからみんなそれが嫌で辞めていったけど、あんなただのラーメン屋のバイトぐらいのストレスをこなせない人に、異国で住むにあたっての成長への期待は見込めないように思う。たしかに海外暮らしは並大抵のことではないけどもだな…話が逸れそうなのでパリ生活の話はこれくらいで。

 

今回の男に関しては海さえも越えてない。京都は茨城と同じ本州だ。ちょっと横に移動して何か変わりたいなどと言っている。

茨城にずっと住んで、これから1年で女を10人引っ掛けて片っ端からセックスするとか出来た方がよっぽど中身があると思う。いちいち性の話題を引っ張り出すけど、むやみやたらに性の話をしたいわけではないんですよ…すいません…私はセックスの技量と人となりはリンクすると感じている。セックスでの女の扱い方でだいたいその人のことってわかる。しかもセックスって結構頭も使うし、行為中の緩急の入れ方とか瞬時にわかる人って人のことをちゃんと見ることが出来てるってことだと思う。そういう人は仕事もできる。

 

女を抱くチャンスさえもなさそうなこの男に何も期待を寄せられないと感覚的に察知してしまった。女のひとりも抱けないような男に何ができるんだ。

 

ただ、うちのオーナーは人の本質を見抜けないただの料理バカなのでこの男の話に興味を持ってしまった。あっという間に採用になり現在働いてるが、あんな京都の片隅の店で真面目だけを取り柄に低賃金で仕事をする姿勢は心底尊敬するが、厨房の端で皿洗いをして雑用をして、一体何がしたいんだろうか。まさか自分の店を持つような気概はないだろうし、私の中ではもう彼の未来は見えてる。

 

私のオーナーは人を気遣うのが下手で、その懐の浅さに従業員には愛想を尽かされ、立て続けに人が辞めている。料理にしか愛を注げないタイプで、決して冷たい人ではないけれど、立ち回るのも気づくのも苦手だから人付き合いも下手で、オーナーと一緒に働くのはその不器用さを理解する人でなければいけない。私は出来るだけ、料理に全力を注ぐオーナーのことは愛して支えたいと思っているけど、それでも目に余るくらい、彼女にオーナーとしての振る舞いを期待してしまうと裏切られることが多くてときどき疲弊してしまう。

 

中身のない童貞男は、自分の考えがないゆえに、オーナーにとっては忠実な犬状態だ。私はその構図がどうも居心地が悪くて、あの職場での自分の姿勢をチューニングしないとなと思ってる。自分だって童貞ニトリのことを偉そうに言えない、やりたいこともないどうしようもない32歳の女だから居られる場所も限られる。私に多くの選択権はない。それに気がついてしまってときどき絶望してしまうんだけど、どうしようもないことだ。